友人のアルセニオ(Art Moura)はハエの話をするのが止められません。ハエのことしか話さないのです。彼の家の庭には、昨日より今日の方がハエがたくさんいると言い張ります。彼の家と隣の家の境界の柵の近くに群がって飛んでいるハエの動画を撮って私に送ってきます。動画を観てみると、8匹のハエが写っていました。
チャットしたりテキストメッセージをやり取りするとき、私は他のことを話題にしようとします。彼は「興味ないな」と言って、またハエについて文句を言い始めます。
前からこんなふうではなかったのです。私はアルセニオのことを長年知っており、これまでも、他の問題が彼の頭をしばらくの間一杯にしては消えていく、ということはありました。やりたい放題のティーンエージャーのこと、ペットの犬の病気のこと、彼自身の健康問題….。でも今回のハエ問題はこれまで最悪です。
アルセニオの隣人のネルは、さまざまな家畜を飼っており、その数は土地区画規制が定める制限をはるかに超えています。アルセニオは何か月もの間、それについて見て見ぬ振りをしてきましたが、アルセニオの土地とネルの土地を隔てる柵にぴったりくっつくようにしてネルが馬小屋を建てると、ハエの数が明らかに増えたことにアルセニオは気づきました。
アルセニオは炭酸飲料の空き瓶を再利用してハエ取り器を作りましたが、あまり役に立ちません。馬糞が積み上がっていくのを見て、アルセニオはネルに掃除を手伝おうと申し出ますが、ネルは腹立たしそうに彼を追い払います。アルセニオは彼の不動産の資産価値が下がるのが心配です。ブンブン飛び回るハエのおかげで資産価値がなくなるのではないか? とそのことが頭から離れません。
「柵の向こう側にいようとはしないんだ」と彼は言います。「まるで俺が奴らの親分であるみたいにさ」
深くて暗い穴
モシャモシャの眉毛、大きな鼻、長さが 30センチもある白髪交じりの顎髭を生やしたアルセニオの風貌は、まるでどこかの独裁国家の狂った統治者のようです。彼にはどこか、帯電しているかのように思えるところがあります——まるで火花を飛ばしているようで、仕事に没頭しているときは特にそうです。そこそこ知られた「アウトサイダー・アーティスト」として沢山の作品を発表している彼は、国際的なアート雑誌にも取り上げられ、ロサンゼルスその他のギャラリーと契約しています。非常に多作で、彼の家の中も外も、敷地中が隅から隅まで彼の作品で埋め尽くされています。
私は一度、私が殺されずに済んでいるのは多分、彼がアート作品を作るので忙しいおかげね、と彼をからかったことがあります。彼は同意し、私は運が良いと言ったものです。
アルセニオの人生で最初の記憶は、深くて暗い穴に飲み込まれそうになっている、というものです。彼は、カリフォルニア州サリナスの、彼の両親のようなポルトガル系アメリカ人が主に働く酪農農場が連なる地域で育ちました。父親は大酒飲みで勤めが続かず、彼の一家は住まいを転々としました。アルセニオが子どもの頃は、夜になるとストレスと恐怖に苦しめられました——毎晩、両親の寝室のドアの前で、酔っ払った父親のろれつの回らない話し声に耳を澄ましていると、それはやがて爆発し、父親は彼の母親や妹、あるいは彼自身に暴力を振るうのでした。
60年以上にわたってアルセニオは過度に用心深く、警戒を緩めることができませんでした。まるで彼の精神にはガイガーカウンターが取り付けられていて、ほんのちょっとした争い事でも激しく針が触れるかのようでした——不安になり、手の平が汗ばみ、血圧が急上昇するのです。ハエ騒動のおかげで彼は一時も心が休まらず、憑かれたように柵の穴から馬小屋を覗き、自分の土地は隠しカメラで監視していました。
ある晩、アルセニオから電話があり、ハエの大量発生は自分の想像の産物ではないだろうか、と言います。それとも状況は実際に、彼が考えているほどひどいのか? わからない、頭がおかしくなっているのかもしれない、と言うのです。それから COVID-19 の大流行が始まり、数か月間にわたって余儀なくされた不安な隔離生活は、彼には耐え難いものでした。彼は作品を作るのを止めました。人生が無意味に感じられる、と彼は私に言い、土地と家を売って遠くに越そうかとも考えるようになりました。
ざわつく脳
アルセニオの娘のアナにたまたま会ったとき、アナは、先日父親と仕事の話をしようとしたけれど、彼はハエのことしか話そうとしなかった、と言いました。
「あなたにも?」と私は言いました。
アルセニオの状態は悪化し、夜中に目が覚めると何時間も暗闇の中でハエのことを考え続けるようになっていました。彼の主治医は抗うつ剤を処方しましたが効果なし。心理カウンセラーには、ハエを見たら、「これを受け入れることができるか? 我慢できるか?」と自問しろと言われ、やってみましたが、あまり役には立ちませんでした。
ある夜アルセニオから電話があり、友だちのメルヴィンが、ハエの問題に対処するにはマジックマッシュルームのマイクロドージングがいいのではないかと言ったといいます。メルヴィンは、マジックマッシュルームに含まれる幻覚性のある化合物シロシビンが、彼の苦しみを和らげてくれるかもしれない——アルセニオの頭の回りでブンブン言っているハエの羽を1枚か2枚、取り除いてくれるかもしれないよ、と彼に言ったのです。
でもアルセニオは懐疑的です。彼は若いときにサイケデリックスを試したことがありますが、それは良い経験ではありませんでしたし、麻薬中毒になるのはまっぴら御免です。メルヴィンは、ものすごく少量を摂るだけなのでその作用はほとんど感じない、と請け合いましたが、アルセニオは信じませんでした。
「マイクロドージングとやらに夢中なのは IT 成金の奴らさ」と彼は言います。「勝手に作り変えてビットコインをまぶしてるんだ」
「馬鹿ね、ただのキノコじゃないの」と私が言います。
「信用できないね」
反芻しすぎる人々
「反芻」とは、犬が骨をしゃぶるように、自分の問題について延々と考え続けることです。取り憑かれたかのように何度も何度も同じことを考えるうちに、思考が歪み、現実感がなくなっていきます。
神経学者であるシャーミン・ガズナヴィ(Sharmin Ghaznavi)博士によれば、「反芻」とは「内省がうまくいかなくなった状態」です。否定的な思考が頭の中で、歪んだレコードを間違ったスピードでかけたかのようにグルグルとループするのです。些細なことを大げさに膨らませたり自己批判したりを頭の中で絶え間なく続けていると、それ以外には何も考えられなくなり、私たちは正常に機能しなくなって、他者と関係を持つこともできなくなってしまいます。
反芻するとき人は孤立し、それが孤独感につながります——自分の社会的ニーズが満たされていない、という感覚です。孤独感を感じると、うつ病、依存症、社会不安障害、PTSD、強迫神経症などを発症する可能性が高まり、またそれらを治療するのも難しくなります。
「タバコの喫煙やお酒の飲みすぎ、それに肥満などと同じくらい健康には悪い」とガズナヴィ博士は言います。
近年、神経科学の分野では、行き過ぎた反芻、孤独感、その他心理的な問題について、それらが脳にどのような影響を及ぼすかを観察する研究が行われています。脳が正常に機能しているときは、脳細胞(ニューロン)は各所で集団を作って情報を処理し、神経回路と呼ばれる情報伝達経路を介して互いに「会話」しています。もしもあなたが、常に同じ問題やジレンマのことばかり考え、あらゆる物、(あなた自身を含む)あらゆる人が次第につまらなく、絶望的になっていくように見えるとしたら、それはおそらくあなたの「デフォルトモードネットワーク」が正常に機能しなくなっているからです。
内側前頭前皮質と後帯状皮質という脳の領域を直接つなぐデフォルトモードネットワークは、自己認識に関する情報を処理すると言われています。また、他者をどのように見るか、あるいは他者に対して思いやりや共感を感じる能力にも影響します。アルセニオが、あまりにもハエにばかり執着して娘や友人たちの言うことに耳を貸そうとしないのはおそらく、彼のデフォルトモードネットワークがクリスマスツリーのように派手に発火している一方、脳が最大限に機能するために必要なそれ以外の回路はくすぶっているからです。
キノコの魔法
ある日、アルセニオは壁にぶつかります。もうたくさん。彼は友人のメルヴィンに電話し、メルヴィンは、友だちの友だちの友だちから、乾燥シロシビン・マッシュルームを手に入れ、量を量るための小さな重量計をアルセニオに貸します。アルセニオはまず、0.1 グラムのマイクロドージングから始めることにし、マッシュルームを噛んで飲み込みます。
その晩、私に電話をかけてきたアルセニオは、何となく様子が違います。いつものように、人に飛びかからんばかりに大仰な熱弁をふるうのではなく、淡々と節約について私に説教するのです。私が彼のアドバイスに従って、スーパーの値切り品コーナーで消費期限の切れた肉を買い、もったいぶった鮮肉カウンターで高級グラスフェッド・ビーフを買うのを止めれば、今頃現金の詰まったスーツケースがベッドの下にあるだろうし、そんなにせかせか仕事ばかりしていなくて済むのに——。さらに彼は、私が女だてらにビリヤードの名人になることを夢見てビリヤード場で酒に無駄遣いをしている、と言います——安いビールを飲みながら家で好きなことをすればいいのに。ハエ問題にはまったく触れません。
「まいったわね」と私。
「何がだよ」と彼。
「ハエに取り憑かれてるときのあなたの方が好きだわ」と私。
「マッシュルームを食べる前は、人を怒らせまいといつも気にしていたからな」と彼。「もうどうでもいいんだ」
私の知るアルセニオ——大好きな、だけどときどき首を絞めたくなるアルセニオが戻ってきたのです。
メルヴィンの勧めに従って、アルセニオはマイクロドージングを続けています。一回摂取したら2日休む、を繰り返すのです。マイクロドージングする日は一番効果を感じますが、摂らない日もハエに苛立つことが減りました。
心が軽くなり、たとえ避けようのない問題が持ち上がっても対応がしやすい、と彼は言います。彼は私に、子ども時代のトラウマからの回復や、マインドフルネスを使ってより感謝を感じられるようになる、という記事や YouTube 動画へのリンクを送ってきます。私の冗談にも笑うようになりました。
レジリエンスを培う
ほとんどの人にとって、レジリエンスとは、人生の試練に出会ったときに心身崩壊せずに対応できる力のことです。ストレスの原因となる出来事に直面したときに、レジリエンスのある脳は、「アロスタシス(適応反応)」と呼ばれる過程を通して健康を維持し、曲がることはあっても折れることはありません。短い時間ストレスを感じるのは実は脳にとっては良いことで、免疫機能やある種の記憶が改善されますが、ストレスが強すぎると「アロスタティック負荷」が生じます——これは、脳と身体が消耗した状態のことで、不安感やうつ病を含むさまざまな健康問題につながることがあります。
2015年に『Neurobiology of Stress』誌に掲載された論文には、「うつ病と不安神経症は、レジリエンスが失われたことによる疾患の例である。これはつまり、ストレスによって脳の回路と機能が変化し、それが特定の状態のまま固定されてしまった、ということであり、外部からの治療介入が必要である」と書かれています。
人間の脳のレジリエンスは、さまざまな人生経験、特に幼少時の経験によって大きく左右されます。アルセニオのように、大酒飲みの父親に虐待されながら育つと、大人になってからストレスに対応するのが非常に困難になります。脳のレジリエンスにはまた遺伝子も関わっています。でも、私たちには変えることも制御することもできないことはさておいて、この先待ち受けるストレス要因に対し、私たちはレジリエンスを高めるために何ができるのでしょうか?
運動、食事、マインドフルネスのようなストレス軽減のためのテクニックといった生活要因はどれも、脳のレジリエンスを高めるのに役立つことがわかっています。実は、シロシビンをはじめとするサイケデリックス——トラウマ、うつ病、依存症などの治療に有望視されています——もまた、レジリエンスを高めるための強力なツールである、と、最近ボストンのマサチューセッツ総合病院でサイケデリックス神経科学研究所(Center for the Neuroscience of Psychedelics)の副所長に就任したガズナヴィ博士は言います。
ガズナヴィ博士によれば、精神疾患の根底にあるのは社会の中で機能する能力に問題があることです。そしてその治療には、サイケデリックスの使用が特に適しています。またサイケデリックス体験の効果は、数か月あるいは数年にわたって持続します。「幻覚作用のある化合物は、社会性のある考え方や行動、そして他者とつながっているという感覚を強める可能性があります。また、脳内の神経可塑性を高め、精神療法による介入をより効果的にする可能性もあります」と博士は言います。
神経可塑性
サイケデリックス神経科学研究所では、脳の神経可塑性——脳が変化する力——を高めることが、うつ病をはじめとする精神疾患の根底にある過剰な反芻を鎮めるのに役立ち、患者の苦しみをやわらげることができる、という仮説に基づいて、シロシビンの研究が行われています。
サイケデリックスがどのようにして脳の活動をより健康的なパターンに導くのかについての研究は、まだ始まったばかりであることをガズナヴィ博士は認めます。マイクロドージングについては、非常な低用量を用いた本格的な研究は行われていないとのことです。これまでシロシビンについて行われた数少ない研究は、「トリップ」を引き起こす高用量を、一度、あるいは数回投与するものでしたが、その他にも現在進行中の研究があります。
アルセニオは、シロシビンのマイクロドージングが彼のハエに対する不安感や固執を完全に排除したとは言いませんが、以前よりはずっと気にならなくなっています。彼はこれからもマジックマッシュルームを摂り続けるつもりです。最近は、私が話すことに心からの関心を示すようになり、以前のように、彼の暗い思考の渦を邪魔する害虫でもあるかのように私を攻撃することもなくなりました。
旧友アルセニオの二つの顔——ハエの親分である彼か、ケチで締まり屋の彼か——のどちらかを選べと言われたら私は、ちょっと遠いけどタコスのキッチンカーまで行けば 7ドルで済むのに金持ちヒッピー向けのブリトーに 10ドルも払うなんて、と私を責めるアルセニオを選びます。彼の苦しみが軽くなるのが嬉しいからです。あとは彼が、ハエだらけの彼の庭のどこに貯まったお金を埋めたのか、それさえ教えてくれたら、私たちはこのハエ騒動を卒業することができるでしょう。
Project CBD の寄稿者メリンダ・ミスラカ(Melinda Misuraca)は、以前は昔ながらの方法で、高CBDの大麻を栽培していた。High Times、Alternet、その他さまざまな媒体に寄稿している。
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参照文献
- Amy F.T. Arnsten, Murray A. Raskind, Fletcher B. Taylor, Daniel F. Connor, “The effects of stress exposure on prefrontal cortex: Translating basic research into successful treatments for post-traumatic stress disorder,” Neurobiology of Stress Volume 1, (2015): 89-99.
- Brian S. McEwen, “In pursuit of resilience: stress, epigenetics, and brain plasticity,” Annals of the New York Academy of Sciences, (June, 2016): 56-64.
- Bruce S. McEwen, “The Brain on Stress: Toward an Integrative Approach to Brain, Body, and Behavior,” Perspectives on Psychological Science: A Journal of the Association for Psychological Science 6, (Nov 8, 2013): 673-5.